『国境の南、太陽の西』談義その1

わたしが、村上春樹作品の中で(今のところ)いちばん好きなのがこの『国境の南、太陽の西』です。

何度も読んでいて思い入れが強い作品なので、一度にまとめて何か書けそうにはありません。

気まぐれに綴っていこうと思います。

(…こんなにゆるいのに「談義」なんてタイトルを付けて良いのかしら?「その2」以降はちゃんと書けるのかしら?)

 

とりあえず、少し前に英語版を入手したのでその写真を。

 

 

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国境の南、太陽の西』英語版

 

 僕はその暗闇の中で、海に降る雨のことを思った。広大な海に、誰に知られることもなく密やかに降る雨のことを思った。雨は音もなく海面を叩き、それは魚たちにさえ知られることはなかった。

 誰かがやってきて、背中にそっと手を置くまで、僕はずっとそんな海のことを考えていた。

村上春樹国境の南、太陽の西』1995年(講談社)p.299

 

 Inside that darkness, I saw rain falling on the sea. Rain softly falling on a vast sea, with no one there to see it. The rain strikes the surface of the sea, yet even the fish don't know it is raining.

 Until someone came and rested a hand lightly on my shoulder, my thoughts were of the sea.

Haruki Murakami
South Of The Border, West Of The Sun
2003, Vintage,p.187, translated by Philip Gabriel
 

 

「そんな海」に思いを馳せて。

「-がほ」を含む歌(17)

女のもとにつかはしける
恨むれど戀ふれどきみが世とゝもにしらず顔にてつれなかるらん
(讀人しらず・後撰和歌集・巻第十四・恋六・998)

 

わたしが恨めしく思っても、恋しく思っても、いつもあなたは知らん顔をして冷たいのでしょうね

 

>「しらず顔」

>「ど」を逆接の恒常条件で訳してみたけれど、どうなんだろう。

>このテーマ、ゆるゆるやっていますがもう少し続けます(たぶん)。そしてそのうちちょっとまとめます(おそらく)。

 

和歌引用

松田武夫(校訂)(1945)『後撰和歌集岩波書店

「-がほ」を含む歌(16)

植ゑて見し花のあるじもなき宿に知らず顔にて来ゐる鶯
源氏物語・幻)

 

花を植えて見ていた主ももういない宿に、何も知らない顔でやって来る鶯よ

 

>「知らず顔」

>源氏の歌

 

和歌引用

阿部秋生・秋山虔今井源衛・鈴木日出男(1996)『新編日本古典文学全集23源氏物語④』小学館

「バート・バカラックはお好き?」そして「窓」

はじめて村上春樹作品について書きます。

村上春樹作品は一通り読んでいて、書きたいことはいろいろあるものの、個人的な思い入れがやや強すぎる作品もあり、なかなか書けずにいました。

 

たまたま「眠い」という短編が読みたくなって、『カンガルー日和』を手に取ったら案の定全部読んでしまいました。久しぶりに読みましたが、やはり良い。

その中で今日、特に心に染みたのは「バート・バカラックはお好き?」でした。

そしてその勢いで、加藤典洋(2019)『村上春樹の短編を英語で読む1979~2011上』(筑摩書房)をぺらぺら見ていたら、「バート・バカラックはお好き?」は『村上春樹全作品1979~1989』第5巻に収録される際に「窓」に改題された、と。

そうか、この作品、内容は覚えていたのですがタイトルになんだか馴染みがないなと感じたのは、改題によるものだったのかも。

そうなると、次は「バート・バカラックはお好き?」が「窓」へ改題された理由が気になり、「窓」の方を読みました。内容として大筋は変わりませんが、思ったよりも大きく加筆(そして少し修正)されていて、これは確かに「窓」というタイトルにするのも納得、というような感じ。やはり加筆部分によって短編の雰囲気というか、読後感というか、色彩というか…が結構変わっていました。どちらも良い。

まあ、『カンガルー日和』という短編集(の段階)では(他の短編の雰囲気とも相まって)やはり「バート・バカラックはお好き?」の世界観がしっくりくるというのは当然ですね。

 

カンガルー日和』には他にもいくつかお気に入りの短編が入っていますが、それはまた今度。

 

好きなものを好きだなぁと思って生きるのは楽しいことですね。

(なんだか、こういう投稿が「ブログらしい」ものなのかな?)

 

 

「-がほ」を含む歌(15)

心から何恨むらん旅衣たつ日をだにも知らずがほにて
十六夜日記)

 

ご自分の心のせいなのにどうして恨み言をおっしゃるのですか、旅立つ日さえも知らないような顔をして

 

>「知らずがほ」

>式乾門院御匣の歌(以下)への贈答

人間だに袖や濡れまし旅衣たつ日を聞かぬ恨みならずは

 

和歌引用

長崎健・外村南都子・岩佐美代子・稲田利徳・伊藤敬(校注・訳)(1994)『新編日本古典文学全集48中世日記紀行集』小学館

「-がほ」を含む歌(14)

あひにあひて物思ふころのわが袖に宿る月さへ濡るる顔なる
(伊勢・古今和歌集・巻第十五・恋歌五・756)

 

私の心によく似て、物思いにふける私の袖に映った月までもが涙に濡れたような顔をしていることよ

 

>「濡るる顔」((9)(2020-05-10)山家集284の歌も)

>「濡るる」+「顔」は「ぬるるかほ」と見るべきか「ぬるるがほ」と見るべきか。(濁点の付与、「顔」の前接要素のこと、接尾辞とは?、などの諸問題についてとりあえずメモ。漆谷広樹(1990)「中古・中世における「~顔(がほ)」の語構成と語法について」『文芸研究』(124),12-21,日本文芸研究会.に詳しい。)

 

和歌引用

小沢正夫・松田成穂(校注・訳)(1994)『新編日本古典文学全集11古今和歌集小学館